不妊治療をカミングアウト 義母と実母それぞれのストーリー

不妊のあれこれ

不妊ピア・カウンセラーのasamiです🐰

不妊治療を頑張っている方、治療をしていることを親に話していますか?
私は5年半不妊治療をしていたのですが、親へ自分が不妊治療をしていることをなかなか言えませんでした。
どんな反応をされるのか怖かったし、心配をかけたくなかった。
子どもを授かったあとで「実は…」と打ち明けることが理想だったのです。
だけど、全然妊娠しない。
時間が経てば経つほど言いにくくなるし、もはや夫婦ふたりで生きていくことの決意表明が含まれつつある。
孫の顔を見せてあげられなくてごめんね、と。

親から子どものことについて聞かれたことはなかったから、伝えるタイミングは私次第。
どんなタイミングで伝えたのか、どんな反応だったのか、伝えてみてどうだったのか。
私が義母と実母へ不妊治療をしていると打ち明けた、それぞれのストーリーをどうぞ。



story1 義母

義母について

夫とは2016年に結婚し、結婚の挨拶のときに、初めて義両親にお会いしました。
義両親にとって私は初嫁で、初娘。
厳しい父だと聞いていたので、私はその日を恐れていました。
初めて挨拶に行った時のことは、今でもはっきりと覚えています。
義父は夫に

「初めて親孝行したな」

と言っていました。
その言葉は今でも私の胸を熱くするコトバです。
義父が孫を楽しみにしていることも聞きました。

義母はとても明るく、おもしろく、強い女性。
ひとりでライブに行ったり、わんこ二匹の散歩に行ったり、バレーをしたり。
その強さは、どんな経験からきているんだろう。
嫁姑問題とか想像していたけど、完敗です。
尊敬しかありません。
亭主関白の義父と息子ふたり。
義母が時におどけてみせる姿も、何か考えがあるのでは?と勘ぐってしまうほど、義母の存在は大きいのです。

義母の反応

結婚して1年後、私たち夫婦は不妊治療を始めました。
義実家は同じ県内ですが、車で1時間半かかるので、会うのは年に数回。
頻繁に連絡をとるという感じでもないし、わざわざ報告することでもないなと思っていたので、不妊治療をしていることは伝えていませんでした。

そうこうしているうちに、不妊治療も3年目に突入し、体外受精までステップアップ。
ちょうど採卵前の自己注射の日に、義実家へ泊りにいくことに。
初めての採卵で、注射をする時間も守らなきゃ、という緊張状態の私。
いろいろ不安で、キッチンに立つ義母の横へするっと。

「実は、不妊治療しているんです。今、体外受精していて、○時に自分で注射しなきゃいけないんです」

きっと義母は、私が子どものことで悩んでいること、お見通しだったのでしょう。
私を責めるわけでも励ますわけでもなく、ただ、私の話を聞いてくれて、知り合いの不妊治療のことを話してくれて。

「○時になったよ」

と注射の時間を教えてくれました。

義母へ伝えてみて

義母は職場の人から、「嫁に子どものことを聞いてはいけない」と言われていたみたいです😄
だから私に何も聞いてこなかったのです。
知らなかった。
想像だけど、義父にもくぎを刺していたのかな。
義父から「孫を楽しみにしている」発言があったのは、結婚の挨拶の時の1回だけだから。

「言われたことはないけど、きっと初めての孫を待ち望んでいるだろう」
その話をすることも、確認をすることもなく、私の中で増殖したその思いは、いつしかプレッシャーに変身していました。

孫を待ち望んでいることに変わりはないかもしれないけど、それ以上に、私たち夫婦のことを大切に思ってくれていた。

「孫のための嫁」ではなく「嫁」

義母に不妊治療をしていることを打ち明けて、そんなことを感じました。

それからは、夫や義父の目を盗んで、不妊治療の話をするようになりました。
「どうだった?」「ダメでした」
「今治療は?」「今はお休みしています」
「流産したんです」「生まれてこれない命だったんだよ」
「仕事を辞めて不妊カウンセラーになります」「義父さんに言っておくね」

私の義母は、強くて心優しい女性です。

story2 実母

実母について

私の母は、とてもおしゃべりで、すぐ人と仲良くなって、繊細な女性。
たまに帰省するとマシンガンのようにおしゃべりが止まらない。

おしゃべりな母が暮らす私の地元は坂道だらけ。
学生時代は重いかばんを持って帰宅するのが辛かった。
だから母は、坂を登って帰る私たち娘の友達を見ると、
「乗っていく?」と車で送迎していました。そんな母です。

坂だらけの地元を離れて、一人暮らしをしていた20歳の時。
たまたま行った病院で、思いがけず手術をしなければいけないことが判明した。
私は、繊細な母に伝えるのをためらって、滅多に電話しない父に打ち明けました。
「病院に来て欲しい」「わかった、お母さんには言っておく」

私のことを聞いた母からの電話は、
「縁があったから病気が見つかったんだね」
と、私の想像のはるか上をいく反応でした。
戸惑うのではないか、取り乱すのではないかと思っていたけど、いろんな経験をして、いろんなことを受け入れてきたから出てくるコトバなんだな、と思ったのを覚えています。

「縁」

母の口癖です。

実母の反応

私は三姉妹の次女、姉と妹には子どもがいて、母は4人の孫のおばあちゃんです。
初孫でもないし、男の子も女の子もいるから、私自身プレッシャーに感じることはありませんでした。
それに、母に心配をかけたくないという思いが強すぎて、不妊治療をしていることは言っていませんでした。

不妊治療をしている、いえ、していたことを伝えたのは、治療をやめた後です。
母をランチに誘って、
「仕事辞めることにした」「そうなの?」
「私、不妊治療していた。これから大学で心理を学んで、不妊カウンセラーになる」「子どもが全てじゃないし。よかったね、やりたいこと見つかって。それでさ、ばあちゃんがこうでこうで………」

意を決して誘ったランチで放った私の告白、一瞬で通り過ぎました。
2件目のカフェで、少し私の話をしたけど、そのあとも母の独壇場。
本当に普通にさらっと聞いてくれました。
それよりも母は、久しぶりに会う娘に、話したいことがたくさんあったのです😊

実母へ伝えてみて

私が不妊であること、私たちの孫は見れないかもしれないこと、それはただの事実。
子どもがいてもいなくても、私たち夫婦と母の関係は変わらないし、母はこだわっていないことがよくわかりました。
こだわっていたのは私自身だった。

「ふたりが仲良く暮らしてくれたら、それでいい」

確かに、母からの手紙の最後にはいつも
「仲良くね」と書いてあったな。

夫婦ふたりから家族が始まって、子どもが巣立って、また夫婦ふたりになる。
娘たちが巣立ち、父とふたりになった母から送られる「仲良くね」には、きっといろんな思いが詰まっているんだろうな。

私の母は、繊細で心豊かな女性です。

ふたりの母から学んだこと

私が人知れず不妊治療をしていたように、母たちにも私が知らない経験がたくさんあって、いろんな経験があるから出てくるコトバがある。
きっと、不妊を経験した私だから出てくるコトバもある。
私は、そんなコトバを紡いでいきたい。

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